水の教え




水を的確に表した、昔から有名な詩があります。

「水五訓
  
一.自ら活動して他を動かすは水なり
  
二.障碍に遭いて激し、その勢力を百倍するは水なり
  
三.常に己れの進路を求めてやまざるは水なり
   
四.自ら潔うして他の汚濁を洗い、
   しかも清併せ容るるは水なり

五.洋々として大海を満たし、
   発しては雲となり、雨と変じ、
   凍っては玲瓏たる氷雪と化す
   しかもその性を失わざるは水なり






老子は水の働きを例に引いて自然を語っています。

上善若水 (老子第8章)

上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。


上善は水の若し。
水は万物を善く利して、而も争わず。
衆人の悪む(にくむ)所に居る。
故に道に幾し(ちかし)。
居には地を善しとし、心は淵なるを善しとし、
與(まじわり)には仁を善しとし、言には信を善しとし、
正(政)には治を善しとし、事には能を善しとし、
動には時を善しとす。
それ唯争わず、故に尤(とがめ)無し。


最上の善を例えるなら水だ。
万物に利沢を与え育て上げ、水自体は利を争おうとしない。
それどころか一般の人が避ける場所、例えば低い土地に居る。
目立たず、万物を潤している。
これが自然の法則に最も近い。
居場所を良い大地にし、澄んだ淵のような静かな心境で、
仲間には仁を、語らいは信頼を、
善いまつりごとで治め、仕事は良く機能し、
時を失するような事は無い。
水の偉大さは万物に順じ争わないこと。だから咎められるような事は無い。

(越玄『孩根譚 自然法則研究 老子編第一節〜(三)』より)





 ギリシャ哲学の祖タレスは「万物の根源は水である」と言っています。
 
 タレスは,アリストテレスにより,素材(質料)因を万有の原理とした最初の人物として哲学史の発端に位置づけられている。彼の思考のうちに,神話的思考からの脱却,ただ理性によってのみ世界を理解しようとする合理的思考の始まりを認めたからである。タレスは,超自然的な神々の名を持ち出すことなく,自然のうちに遍在し,われわれが日常経験する〈水〉によって万有の生成変化と構造の在り方を説明しようとした。すなわち,水から万有は成立し,また水へと還っていくとし,この意味で水は永遠であり(したがって神的でもある),万有の構成素であると考えた。しかし,タレスの〈根元者〉としての水は,たんに生命なき物質としてのそれではなく,アリストテレスも注目したように,万有のうちに遍在し,万有に生命と活動を与える生命原理――〈プシュケー〉(いのち,魂)――でもあったことが注意されねばならない。(広川洋一『平凡社 世界大百科』より)



 このように「水」については様々な格言・思想があります。